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P-助のなんとなくblog

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あくまでなんとなく

決して忘れないさ あなたのこと・・・♪

今日は、どうしても独り言を書きたいんです。ゴメンなさい・・・
意味がわからないと思います。
かなり長くなると思います。
読むのも面倒くさいと思います。
でも、どうしてもこのブログに記しておきたいので・・・

無理して読まないで下さいね。
基本スルーでかまいません・・・m(__)m

・・・

P-助にとって、『師匠』と呼べる人は、ほぼ独学で受験した音楽大学時代に、担当になってしまった為に、もの凄く大変な思いをしながらも最後まで見捨てずに指導して下さった、『石澤秀子先生』と、

もう一人高校時代の親友がいます。

・・・・・・・・

今を遡ること30年近く前、P-助が高校生時代の事でした。
中学からギターをやっていたP-助は、たまたま同じクラスになって仲良くなった親友達や旧友の知りあいとバンドを組んで、学園祭のステージを目指す多愛もない日々を送っていました。

そんな中、何を血迷ったか、突然ピアノの音に惹かれ、どうしてもピアノが弾きたくなってしまったP-助、ある日突然練習を始めました。すでにドラムやベース等ギター以外の楽器にも挑戦してきたP-助ですが、P-助にとって、ピアノはかなり難しかった・・・
当時P-助がギターで組んでいたバンドの、ベースをやっていた親友の彼女で、キーボードを担当していた、『すずめさん』(仮名)が、ピアノを子供の頃から習っていた為、P-助ピアノ上達の為にいろいろとアドレスをしてくれていました。

とにかく明るく気さくな彼女は、どんな人達にも、態度をかえる事なく優しく接していて、男子からも女子からも人気者でありました。もちろんイケてなかったP-助にも同様に明るく、そして親身に接してくれました。

そんな青春真っ只中、『すずめさん』は、残念ながら両親の仕事の都合で相模原から名古屋に転校してしまいました。

そして夏休み・・・
ベースの親友が『すずめさん』とデートする為に名古屋に行く事になったが、『お金がないから一緒に行かないか?』と言い出しました。

・・・
そんな野暮な事出来る訳がない。

しかし当時の高校生が、バイト代等で新幹線代とホテル代を出すことなんてかなり難しかったんです。

なんとか親友のその思いに応えたいと思ったP-助は、当時乗っていた初代テケテケ号である原付バイク『MBX50』で名古屋に行くことにしました。

P-助は前夜から初代テケテケ号で名古屋に向けて出発!彼は翌朝から新幹線で名古屋に向い、デートしている2人と夕飯の一瞬だけご一緒させて貰い、ホテルは親友と2人で料金折半で泊まり、翌日親友は2日目のデートをして、P-助は速攻帰るという、何とも無謀な計画を立てたのでありました。

当時の原付バイクは軽く100kmはでる代物でしたが、制限時速は30kmです(笑)。もちろん高速道路は走れません。一般道をひた走り、トラックの排ガスで、頭の先からつま先まで身体中真っ黒になりながらの強行軍でした。

やっとの事で名古屋に着いたP-助は、約束の時間よりちょこっと早く着いた為、これまたとってもお世話になったすずめさんのお母さんに挨拶がしたくて、手紙のやり取りで知っていた彼女の住所を頼りに、カーナビも無い時代に地図と交番のおまわりさんの情報だけを頼りに、探し歩くこと数時間・・・
奇跡的に到着することが出来ました。もちろんすずめさんはデート中でいません。が、お母さんはビックリしながらも優しく向かえてくれました。なぜだかその時軒先で鳴っていた風鈴が風になびく風景とその音色は、今でも目をつぶると鮮明に浮かんできます・・・

帰り、居眠り運転で車と正面衝突しそうになりましたが、九死に一生を得たP-助。
無事に帰宅して、応援してくれていた『すずめさん』に応えようと、それからも一生懸命練習しました。

高校生活も終盤にさしかかると、進路を決めなければなりません。
余りに低脳だったP-助・・・
宇宙について勉強したかったら天文学部!(諦めた!!!(笑))
法律が勉強したかった法学部!
英語が勉強したかったら英文学部!
だったら、
音楽を勉強したかったら、音楽大学!!!

・・・
あまりにバカでした・・・
が、P-助は『同じ人間なんだから練習すれば出来るようになる!』と思い込み、一人黙黙と試験曲を練習し続けました。一日何時間も練習しても飽きないほど、めっちゃ練習!!!母親から『いい加減にしなさい』と怒られる程朝から晩まで熱中していました。

試験曲はバッハの平均率、ベートーベンのソナタ、ショパンのエチュード・・・
ツェルニーも弾いたことがないのに・・・
怖いモノ知らずとはこの事ですね。。。 

ショパンのエチュードは、単に短いと言うだけで、『蝶々』に決め、ベートーベンのソナタは、すずめさんが弾いていて「めっちゃカッコ良い」と思っていた、『悲愴』の第一楽章に・・・

バッハはどうして良いかわからず、決められぬまま、大学の3日ほどの冬期講習を受けてみることに。

・・・

今考えると恐ろしい行動、失礼も甚だしい・・・

生まれて初めてのレッスン・・・

いきなり担当の先生からの罵声の嵐。

本厚木の大学からから相模大野の自宅まで、人目もはばからず全く涙が止まらなかったP-助。

・・・

ですが、ここまで来たら諦められません。親友からの遊びの誘いも断り、さらに必死に練習する日々・・・

いよいよ試験の日が近づいてきます。
最後の最後、全く自信のないP-助は、名古屋のすずめさんに最後のアドバイスをお願いしたくて、自分の演奏をカセットテープに録音して彼女に送りました。

・・・・

しばらくして、すずめさんから一通の速達が届きました。開けてみると、大切な自分の楽譜にP-助の演奏の注意点を書き込んで、それからコピーしたらしく、所々コメントが切れている楽譜のコピーが入っていました。
本当に的確なアドバイスがそこにはありました。
その楽譜に添えられていた手紙の最後に書かれていた言葉・・・
『やっぱりカゴはピアノ上手いよ!』

・・・

ダビングということが出来なかった当時、すずめさんに送ってしまった演奏はもう聴くことは出来ません。
ですが、あきらかに上手くない!
どう考えても全く持って上手くないんだよ!!!

・・・

だけど、その言葉にもの凄い勇気を貰いました!!!
異性の親友というのはあり得るのでしょうか?
私にとってまさに、すずめさんはまさに異性の親友でした。
そして、『師匠』という存在を知った時、私にとってすずめさんが間違いなく『師匠』だ!
と確信しました。

・・・

試験当日

・・・

人前で初めてピアノを弾くのが音楽大学の入試・・・

まともな精神状態で演奏する事なんて不可能だよ、

・・・

最悪の結果・・・・
再び涙が止まらなかったP-助。

すずめさんに報告する約束でしたが、、
とてもダイヤルを回すことが出来なかった。

・・・

そして合格発表の時。

奇跡が起きました。

何故か合格!!!

すぐさま、大学の公衆電話からすずめさんに電話!!!
『本当に、本当に、ありがとう。無事に合格したよ!』
本当に、本当に、よろこんでくれました。

・・・

自分でも何で合格したのかわかりません!

高校に戻ると、英語担当の先生が、
『籠島が受かる大学がこの世にあるとは思わなかった!』と、のたうち回ったほどの奇跡が起きたんです。
P-助、高校3年間英語が赤点だったんですから当然ですね(笑)

・・・

大学入学後も苦悩は続きます。
弾けるのが当たり前なピアノ科・・・
全く楽譜が読めなかった為、授業中何度も人前で泣いた・・・
スプーンおばさんのように優しい『石澤秀子先生』のレッスンでの口癖は『困りましたねぇ・・・』でした。

今は全くクラシックは弾けないんですが、当時、石澤先生が教えて下さった事で、強烈に憶えている事があります。
確かショパンの革命でレッスンを受けていた時、
『あなたは何でここをフォルテで弾くの?』
と言われ、
「フォルテと楽譜に書いてあるから」
と答えたP-助・・・
途端、石澤先生が烈火の如く、『あなたがピアニッシモで弾きたかったらピアニッシモで弾いても良いんだよ!あなたがどう弾きたいのか、それが大事なんだよ!それがない演奏なんてなんの意味もない!!!』
楽譜通り寸分違わぬように弾くのがクラシックピアノだと思っていた、当時のP-助は脳みそかち割られましたね・・・

このお言葉だけでも、音楽大学に行った価値がありました。
こんな貴重な体験、貴重な大学時代、そしてすずめさんのアドバイス、これがなければ今のP-助は存在しないと間違いなく言えます。

・・・

本当に苦しかった、でも、もの凄く楽しかった大学時代、何とかギリギリ4年間で卒業する事ができ、クラシックではなく卒業と同時にZ旗の川瀬くんと共に活動していた『STAY』でデビューというポピュラー音楽を目指したP-助。

バンドデビューで、機材車にメンバー全員で乗り込み、ドサ回りをする、そんなツアーが多くなり、名古屋を訪れることも多くなってきました。

すでにベースの親友との関係が終わっていたのにもかかわらず、
仕事が忙しいのに、すずめさんはP-助の名古屋のライブには毎回必ずに遊びに来てくれました。

・・・

何回目かの名古屋ライブ、今でも忘れません、ハートランドでのライブの時、初めてすずめさんが友人を連れてきました。ハートランドの上のお店で3人で食事をして、その男性は物静かでしたが、温かい方で、楽しい食事はあっという間でした。

その後、P-助の元にすずめさんから手紙が届き、『結婚することになりました。お相手はハートランドで会った彼です。』
やっぱり!!!!
すぐさま筆をとったP-助、ありったけの「おめでとう!!!」を書き、ポストに投函しました。

・・・

結婚を間近に控えたとある日。
名古屋でのP-助のライブに遊びに来てくれた彼女は一人でした。
てっきり2人で来てくれると思っていたP-助はちょっとビックリしました。
ライブ後、すずめさんと話をすると、彼は大音量とかが苦手みたいで、前回はすずめさんがもの凄くお願いしたので来てくれたが、今回はパスしますとの事。
その後P-助は、当時ドサ回りで使っていた機材車で、何故か初めてすずめさんの家まで送っていくことになりました。

結婚についてや、高校時代の思い出について、楽しそうに話しをする彼女・・・
もうすぐ家に着くと言うその時、

突然・・・

『ゴメンね・・・』

「???」

『彼がもの凄くヤキモチ焼きなんだ・・・』

「・・・」

『今回は彼が、カゴだからってライブに行くことを許してくれたんだけど、彼に心配かけたくないから、今後はライブに行くことはやめる事にする。』

「・・・」

『で、彼は何にも言わないけど私の意志として、男性の友達の連絡先等全て消すことにしたんだ。で、もちろんカゴの連絡先も消す・・・ゴメンね・・・』

彼女の結婚に対する強い意志!
本当に幸せになるんだという志!
彼女の彼を思う強い気持ちに感動しました。

だけど、心ではわかっても、やはりちょっと寂しいP-助・・・

だけど親友の頼みです。そこは笑顔で「了解!!!」

無事に家の前に着いた・・・

その時・・・

初めてすずめさんと握手しました・・・

「またいつかきっと会えるから、必ず幸せになってね・・・」

P-助はそんな言葉しかかけることができませんでした。

『もちろん!!!』

相変わらず、明るく気さくな彼女は力強く笑い飛ばします!!!

・・・

意を決してアクセルを踏むP-助。

暗闇に紛れて車から見えなくなるまで手を振ってくれていたすずめさんの姿は今でも忘れません。

・・・

それから、音信不通になって数年後、

・・・

すでに実家を離れていたP-助の実家に、すずめさんから手紙が届き両親が転送してくれました。すずめさんが、余りに憶えやすっかったP-助の実家の住所を憶えており、その記憶を頼りに手紙を書いたんだと記されてありました。そしてそこには、『子供が生まれました。名前は○と名付けました。あまりに嬉しくて報告です・・・』と近況報告が。

返事をするのは、どうしようか迷いましたが、時期的に近かった為、年賀状ならと思い返事を書きました。

そしてそれから年に一回、年賀状だけでの挨拶をする様になりました。

・・・

数年が過ぎ

・・・

仕事というのは時に残酷なものです。

たまたま地獄のように忙しく、また基本筆無精のP-助は2年連続年賀状を書かなかった。その前年のすずめさんからの賀状には、なにやらちょっと不思議な言葉が書いてありました。ホンのちょこっと気にしただけで、忙しいことを良いことに、ほっておいてしましました。

それから、時間がある年の瀬に年賀状を送っても、すずめさんから返事が無い事が、2年程続きました。
が、これまた忙しい日々にかまけて、あまり気にすることもなく、日常が過ぎてしまいました。

・・・

人間って、大事なことには本当に鈍感なんですね。

・・・

今も遡ること6年前、思わぬ人から年賀状の返事が届きました。

それは、出していないすずめさんからのお母さんからの返事でした。

そこには衝撃の事実が記されてました。

『毎年すずめに年賀状をいただいていたそうで有難うございます。

昨夜すずめのつれ合いから聞きました。





すずめは1999年9月1日に病気にて永眠致しました。』





???

・・・

10年前の今日です。

・・・

手紙に書いてあった、お母さんの電話番号に電話したP-助・・・
相変わらず優しいお母さん・・・

いろいろとやりとりをして最後にとても長い手紙を書いてくれました。

・・・

1998年10月に胃がん(スキルス)が見つかり、翌月手術しました・・・
手術後、すずめは自分の口から(とてもそういう状態ではなかったのですが)“痛い”“苦しい”“食べられない”等一切口にすることなく自分の置かれた状況を受け入れ、いつも前向きに積極的に頑張っておりました。私には心の中は常に静かに澄みきっていたように思います。

と綴られておりました。

手紙には、お母さんにとっては本当に大切な宝物であるはずの、すずめさんからお母さんへの最後のとなった母の日の手紙のコピーが同封されていました。
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言葉も出なかった。

・・・

最後に届いた年賀状の不思議な言葉は、手術後、生前最後のP-助に対する言葉だったのに。

師匠とあがめ、あなたがいなければ、まちがいなく今音楽をやっていなかったP-助。

まさか天に召されていたとも知らず、何年ものほほんと過ごしていた自分が、

本当に、

本当に。

情けなくて仕方ありません。

またきっと会えるなんて、いい加減な事を言って、結局あの日が最後でした。

ゴメンなさい。

P-助みたいな、いい加減な人間が今も生きていて、誰にも愛されていた、すずめさんみたいな素晴らしい人が天に召されるなんて、本当に全く理解できません。



・・・

もう、全く弾けなくなっちゃいましたが、今日、すずめさんが送ってくれた悲愴の楽譜を、頑張って譜読みして、つっかえつっかえ最後まで弾きました。
相変わらずへたくそです(笑)

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by pf-key-kago | 2009-09-01 23:49 | おやじの独り言