お母さんへ
お正月も帰れなかった相模大野の実家に、うまくタイミングがあって顔を出すことが出来ました。
帰りがけに、お母さんが
『裕昌が産まれたときの記録なので、捨てるのももったいないので、読んでから、
いらなかったら捨てていいからね!』
珍しく、ちょっと照れながら、一枚の大きめの封筒を手渡してくました。
しばらく作業があったので、すぐには見られず、部屋の中にちょっと置いといたのですが、
今日、寝る前、封を開けてみました。
薄汚れた古いノートが出てきました。
タイトルが、、、
50年前の事です。
子供の頃から3日坊主の私はとしては、母がよく日記を書いていたのは
なんとなく知っていて、とても母を尊敬していました。
まさか、自分が産まれる様子が日記として残されているとは、、、
1ページ目には当時の出産費用の領収書が付いていました。
今と違って全て手書き。しかも当時としてはかなりの金額だと想います。
そして、事細かに書かれている母としての出産のへの不安、、、
身体のちょっとした変化に敏感になる母の様子や、慌てる父親の様子が書かれてありました。
私、産まれる前のお腹の中でも、不安しか与えてないんでやんすね(笑)
すでに涙でよく見えないんですが、母として、女性として、一世一代の大仕事をやりとげた、
母のこの記述には涙が止まりませんでした、
ノートの間には母子手帳がはさまれていました。
やはり母は偉大です。
照れくさくて直接は言いにくいですが、
3,305グラムから成長していく私を、一喜一憂しながら、そして悩み苦労しながら産み、
育ててくれたこと、
あらためて、、、
お母さん。そしてお父さん、ありがとう(^^)
裕昌より
帰りがけに、お母さんが
『裕昌が産まれたときの記録なので、捨てるのももったいないので、読んでから、
いらなかったら捨てていいからね!』
珍しく、ちょっと照れながら、一枚の大きめの封筒を手渡してくました。
しばらく作業があったので、すぐには見られず、部屋の中にちょっと置いといたのですが、
今日、寝る前、封を開けてみました。
薄汚れた古いノートが出てきました。
タイトルが、、、
50年前の事です。
子供の頃から3日坊主の私はとしては、母がよく日記を書いていたのは
なんとなく知っていて、とても母を尊敬していました。
まさか、自分が産まれる様子が日記として残されているとは、、、
1ページ目には当時の出産費用の領収書が付いていました。
今と違って全て手書き。しかも当時としてはかなりの金額だと想います。
そして、事細かに書かれている母としての出産のへの不安、、、
身体のちょっとした変化に敏感になる母の様子や、慌てる父親の様子が書かれてありました。
私、産まれる前のお腹の中でも、不安しか与えてないんでやんすね(笑)
すでに涙でよく見えないんですが、母として、女性として、一世一代の大仕事をやりとげた、
母のこの記述には涙が止まりませんでした、
ノートの間には母子手帳がはさまれていました。
やはり母は偉大です。
照れくさくて直接は言いにくいですが、
3,305グラムから成長していく私を、一喜一憂しながら、そして悩み苦労しながら産み、
育ててくれたこと、
あらためて、、、
お母さん。そしてお父さん、ありがとう(^^)
裕昌より
by pf-key-kago
| 2016-04-25 03:26
| おやじの独り言